桂三枝:六代目文枝を襲名
桂三枝という人は五代目桂文枝の弟子で、五代目文枝は上方落語の四天王と言われたうちのひとり。大きな名跡です。
五代目がなくなってしばらくたつのだけれど、三枝がこのたび文枝を襲名するのだそうで。
桂三枝という人は同世代に桂枝雀がいて、同じ古典落語の土俵ではとても枝雀にかなうはずがないというので、古典落語から創作落語という落語のようなものに逃げた人である。
古典落語が出来ないのに大名跡を継いでいいのかねえ、と思う。 文枝の名前ならば自分よりも古典落語のちゃんと出来るあの男に継がせればいい、なんていうことが出来なかったのね。名誉欲に駆られたか。
東京落語では、正蔵の孫なんだから継いでいいだろという感じで、こぶ平ごときが正蔵を名乗っている。明らかに名前負け、正蔵の名を汚しました。
(自分の父親の林家三平がなぜ正蔵を襲名しなかったのか、くらいのことは考えなかったのかねえ)
東京落語では正蔵といえば彦六さんのことを指すのであって、こぶ平ごときが何抜かすかという感じです。
あるいはどこぞの馬鹿が円朝を襲名したいと抜かしているという噂が流れていて、おいらがじかに知っている限りでは大円朝の名前を襲名しても許されるのは亡くなった古今亭志ん朝さんぐらいしか思い浮かばなくて 、それに比べたらテクニックしかなくて何の情緒も風情もないおまえごときがちゃんちゃらおかしい、という感じ。
こっちは当事者じゃなくて聴いているだけだから大きなこと言えないけれど、おいらの家のものだからおいらに継ぐ権利があって当然と軽々しく考えすぎ。名前の重さというものがわかっていないんでしょうな。
芸の力がなければ名前がどうであろうと見向きもされない。当たり前のことですね。
電話帳を見てみると、東京には三枝桂(さえぐさ・けい?)という人がふたりいます。
(八つ当たりで言いたい放題になってしまった。文中敬称略)
公務員の給料
民間はひいひいいっているのに公務員の給料は高いのが気に入らないと、えんえん文句を言い続けているのだけれど。
バブルの時には、いくらでも稼ぎのいい職があるのにわざわざ薄給の公務員になるなんてバカのすることだ、などと、役所に入る人間を鼻先で笑って馬鹿にしていたのはどこのどなただったのですかね。
バブルが崩壊して民間ががたがたになって、役人の方が給料がよくて地位も安定しているという時代になって、あいつらの給料が高いのが気に入らないと言っているのは、社会の公平の問題じゃない、単なる嫉妬だ。
俺より幸福な人間がいるのは気に入らない。これって単なる貧乏人の嫉妬。
これをきちんと批判するのならば、公務員の給料が労働に対する正当な対価として払われているのではなくて、福利厚生外郭団体の問題も含めて水ぶくれの利権構造になっていることを批判しなければならない。これがないと単なる卑しい話になる。
福利厚生ねえ。おいら昔役人やっていた頃には、親の家に居着いたまま役所に通っていて、何とか自立しないとなあ住むところを探さないとなあと思っていたのだけれど、役所が用意する単身者用の住まいというのは、その当時6畳に2人押し込むというタコ部屋みたいなものだったのね。
思い切って小さなマンションでも買うかと思っても、単身者だとお金貸してくれなかったのね。今ではだいぶ単身者に対する扱いが変わってきたらしいけれど。
そもそもが、待遇がいいから薄給でも公務員になるか、なんていう発想で公務員になったわけではないのでねえ。
給料が高いのが気に入らないってわめいているだけだと、簡単につぶされる、議論にもならないという感じなのだが。
ちなみに東京に住んでいて人並みの暮らしをするのに最低限必要な金額というのは、住居費も含めてひと月20万円くらいです。家族持ちの人の事情がわからないのだけれど。
資格ブームは来るか
今のような状況だからこそ資格を取って自己防衛しなければならないという感じで、資格の通信教育のテレビCMが増えているのだが、暇なときにちょこちょこテキストいじるだけで取れるような資格が何かの役に立つのかな。
資格で言えば、おいら一級建築士なんだけれどね、ただしペーパー建築士だから今やほとんど意味ないけれど。何十年も昔に一応あのむずかしい試験に通ったという過去の事実だけ。
建築士の資格については建築学会の会長だった清家清先生がこんなことおっしゃってます。『建築士は足の裏のご飯粒だ 。取らないと気になってしょうがないけれど、取っても食べられない』そういうこと。
(もっと食えない資格だと技術士がありますか。資格と言うより検定みたいな感じだが。土木やっている人には重要なんだろうな)
建築学会の大会のシンポジウムで、職業教育に関する議論があったのだけれど、『技術者の職業倫理はどこで身につけるのですか』と質問したら、えーそんなこと聞くかなあという感じで司会が立ち往生してしまった。パネリストのひとりが、職業倫理は教育(OJTも含めて)の中で自然につくものであるし、社会の仕組みの中で自然に淘汰されますという楽観論で返してきたのだが。
だったら建築教育の過程で何で姉歯みたいなやつが排除できなかったのか、という具体的な事例が出てしまいました。あの事件のおかげで建築基準法の罰則規程が厳罰化されてしまうほどショックだったのね。姉歯の負債は何十億円なんだろうか。百億円の大台突破するか。
資格の受験勉強すると 、ある分野についてまとまった勉強が出来るという利点はあるけれど、しょせんは受験勉強なので何かの能力が補強されるわけでもないのだわな。試験受けるのにべらぼうに金がかかるし。青島幸男さんみたいに資格取るのが趣味という人なら別なんだろうが。
今の時期まとまった勉強をする意味があるものって、英語じゃないのかな。その中でも英会話。大学出ていて英語が話せないのが普通だっていうのが凄いんだが。
英語が出来るというのは今自分がしている仕事がそのまま英語で出来るという意味なんだけれど。
政治:卑しい仕事
テレビに出てくる政治家が、ニュースでもバラエティでも、みんな政治家じゃなくてブローカーに見える。
これはある意味正しい感覚なのかもしれない。
(昔自民党に藤山愛一郎さんという政治家がいて、この人お金持ちで、自分のお金で政治をやろうとしたのだけれど周りの政治家がその金目当てにたかりまくってどんどんお金が減って、最後はほぼからっけつになりました。あのホテルニュージャパンの元オーナーです)
増税します増税しますばかり言って、その増税した金でこの国をどうしたいのか、グランドデザインが全然見えてこない。増税して財政再建するって言うけれど、で、財政再建してあんたは何がやりたいの、この国を一体どうしたいの、それが全然わからない。
今のままでは、金がないからもっとよこせ、と言っているだけに過ぎない。
残念だったねえこっちも金がないんだよははは。
話は変わるけれど、テレビに出てくる食べ物、料理が、みんなゲロに見える。もんじゃだけじゃなくて何を見ても同じ。これってどういう感覚なんだろうか。
かといって食事が出来なくなるわけでもなくて、そのゲロに見えるものを平気で食べている。
この数日間、感覚がどこかおかしい。
右腕血まみれ
朝目が覚めてみると、右腕が傷だらけになって血がにじんでいる。
この1週間ぐらい、毎日毎日傷が増えている。
着ているものに問題があるのか、それとも何か無意識の自傷行為をしているのか。これが自傷行為だとしたら、おいら無意識の部分で相当抑圧されているのか。
無意識というのはもともと抑圧されているのだけれど。
風呂には入っていて着るものにも気は遣っているので、不潔にしていてかゆくなっているとも思えない。それとも冬にアトピーでこんなことになるのだろうか。
これが右腕の傷だけなら、冬は長袖着ているし目立たないのだけれど、もっとおかしなことになったらどうするか。
そそり立つ地獄
夜更けの神保町で建築学科の卒業生である中年男が数人とぼとぼと歩いていて、その中の一人が最近建った超高層マンションを見上げて一言。『これじゃ生活できないだろ』するともう一人が指摘。『ここはまだましなんじゃないの。あそこにスーパーマーケットがある』
建築を作っている側の人間としては、超高層マンションというのはとても人間の住める施設じゃないというのが実感。あれは何かが欠けた人しか住めないんじゃないか。
都市居住に集合住宅という様式は不可避だとして、限度というのはせいぜい4階建てか5階建てなんじゃないだろうか。いざとなったら階段で行き来できる程度の、地面から離れていない家。
おいらが学生の頃はコートハウスが都市居住の将来の可能性としてあげられていたのだけれど、あんな贅沢な土地の使い方は出来ないせいか、結局はやりませんでした。
都市に住み続けなければいけないとして、おいらに金があったら現代町家とでも言うような3階建ての住宅を作りますかね。金出してまでマンションには住みたくない。それに維持費がマンションは戸建ての数倍になるのだ。
(ただし今はコンクリートから放射能が出たり、それなりの大工や職人はみんな東北に行っちゃってろくなのが残っていないなどの理由で、建築そのものをするのは3年くらい控えた方がいいんだろうな。今、現場は一体どうなっている?)
林家彦六さんみたいに明治時代からある長屋に住むというのが一番それらしいのかな。
2012年1月25日追記:(4年以内に首都圏に大地震の起こる確率70%なんて言われたら、マンションだろうが戸建てだろうが買う気が起こらないですね)
テレビのCM枠大安売り
昔だったら深夜か早朝のどうでもいい時間帯にしか流れなかったCMが最近は昼間あるいはゴールデンタイムにまで進出している。
これはそれらの会社あるいは商品が社会的に認知されてきたからそんな時間に流しているのではなくて、あるいはそんな値段の高いCM枠が買えるほど会社が急成長したわけでもなくて、その程度の会社にも手が届くくらいCMの枠の値段が下がっているのだ。こんなところでテレビの退潮というのがわかったりする。
ものによっては反社会的とまで言えるようなCMが平気で子供の目にふれるようになった。
毎年何千人も破滅させているパチンコのCMが、パチンコだとわからないような変なCMで流れている。
ケータイゲームなんて本来は18禁のものを宣伝している。
ニューヨークのセントラルパークと、東京に建つマンションと、何の関係もないものがイメージだとか言うだけで並べられている。ものによっては1億円突破するような買い物を、こんな変な広告で選ぶ人がいるのかね。
『個人の感想です』と入れさえすれば何を言ってもいいという二枚舌の健康食品、まるっきりカルトにしか見えない。
在京のキー局でさえこの有様で、これがローカル局になるともっと訳のわからないCMがあふれかえる。
この調子でいけばゴールデンタイムにフーゾクのCMが流れるのも時間の問題だろうな。公共財であるはずの電波を使ってこんな商売している。これって変だろ。
それからNHKの番宣、そんなもの流すのならその細切れの時間をかき集めて、良質なミニ番組作れ。
というかテレビ番組そのものがほぼステルスマーケティングになっているのだから、どれもこれも本気で見るに値しないものに成り果てているな。

テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0
- 作者: Joseph Jaffe
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2006/07/22
- メディア: 単行本
ぼったくりケータイゲーム
ケータイゲームの『一部有料のコンテンツがあります』という商売は、『お客さんどうですセットで2時間3000円ぽっきり』と言って客を引きずり込んで実際には何万円も何十万円も払わせるぼったくりの店と変わりがない。
実在するぼったくりの店ならばそういう界隈には近づかないという判断が出来るが、ひどいことにこの商売はテレビで大々的にCMを打っている。
さらにひどいことには判断力のない子供まで引きずり込んで金を使わせている。その子供たちが性的被害に遭っているのまで野放し。
どう考えてもこんな反社会的な存在、法律で規制するべきだと思うのだが、成長産業だと言ってもてはやされている。何だか社会をかろうじてとめている『たが』が外れてしまった感じ。
モラルが欠乏した社会。
『悟り』の問題
『わたしは悟りをひらいた』と考えたり発言したりする人は、『わたしは』という形でまだ自我に執着しているわけだから、実際には悟りを開いてはいないことになる。勘違いかそうでなければ嘘。
本当に悟りを開いた人ならば、自分が悟りを開いていることに対して無自覚であるはず。だから悟りを開いたままそれに気がつかずに毎日の生活を平凡に送っているかもしれない。
人類の歴史で悟りを開いたと言われる人は、ゴーダマ・シッタルタだけなのかな。イエスはどうだったのだろか。
(最後の最後になって『何で俺を見捨てたんだよお』と言っているところからすると多分悟りはひらいていなかったのかな。山上の垂訓はいい線行っているのだが)
では悟りを開いたかどうか何を持ってしてわかるかというと、その人の日々の言動、行動、そういったものから端で見ている人が推察して、ああこの人はきっと悟りを開いているんだろうなと感じられるだけで、実際にその人の精神状態がどうなっているのかなんて誰にもわかるはずがない。
悟りは特にひらきたくもないが、救済はされたいなと思う。何の救済なのだかわかったものじゃないけれど。だから小乗仏教である禅宗が近頃はしんどくなってきた。ひたすら念仏を唱える浄土真宗に乗り換えようかなどと思っていたりする。
寿司屋に喧嘩を売る
ネタが異様に大きくてシャリがやたらと少ない寿司を見るとそれだけで腹が立ってくる。そもそもどうやって食べろというのだ。
子供が『トロ。トロ』とわめいてトロばかり食べているのを見ると不愉快になる。そもそも子供のうるさい食べ物屋というのが論外なのだ。
寿司屋でトロを食べたことがない。見ただけで気持ちが悪い。別に『江戸っ子はトロ食わない』などと気取っているのではない。それに江戸っ子じゃないし。
むかしむかし、作家の山口瞳(男性ですよ)という人は 、何かよほど不愉快なことがあったのかわからないのだが、寿司屋に行って大きな声で『この粉わさびはよく出来ているねえ。本当によく出来た粉わさびだ』と発言して、店を追い出されたとかあるいは板前が包丁持って追いかけてきたとか。
もともとこの方は不寛容な方なんですけれどね。
もうひとつ強烈なのは、店に入ってガラスケースの中のネタを一瞥して『ふうん』と一言残してそのまま店を出てしまうというのがありました。スノッブですなあ。
わざわざ遠くに出かけておいしいものを探して食べるということをしなくなりました。




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